大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成元年(ワ)6709号 判決

原告

文元こと金貴徳

被告

川嶋一徳

主文

一  被告は、原告に対して金一一〇万六八三〇円及びこれに対する昭和六二年一月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一八分し、その一七を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、歩行中、原動機付自転車に衝突されて負傷した者が、自賠法三条に基づき、損害賠償を請求した事件である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和六二年一月九日午後八時二〇分頃

(二) 場所 豊中市曽根西町三―一四先路上

(三) 加害車 原動機付自転車(川西市い七四六四号)

右運転者 被告

右保有者 被告

(四) 被害者 原告

(五) 態様 原告が事故現場の道路を歩行中、加害車が原告に衝突し、原告が右足関節内踝骨折、右膝打撲、右第五、六肋骨骨折の傷害を負つたもの。

2  治療経過

原告は、次のとおりの入、通院治療を受けた。

(一) 林病院

昭和六二年一月九日から同月一二日

(二) 済生会野江病院

昭和六二年一月一二日から同年二月一〇日まで入院

同月一一日から同年七月二五日まで通院(ただし、同月一一日から同年四月八日までは内科に入院)

二  争点

1  原告の治療経過及び後遺障害

(一) 原告

原告は、本件事故前に、洞結節不全症候群に対する治療を受けたことはなく、また、この疾病は本件事故による傷病に対し何らの影響を与えていない。しかも、昭和六二年二月一一日から同年四月八日までの済生会野江病院内科入院中も、洞結節不全症候群に関しては、検査及び経過観察が行なわれたにとどまる。したがつて、前記入通院期間全体につき、休業損害が認められるべきである。

また、原告の症状は昭和六二年七月二五日固定したが、右足関節部・右膝部に圧痛、右胸部に疼痛が残存した。この後遺障害は、自賠法施行令二条別表一四級一〇号に該当する。

(二) 被告

原告は、昭和六二年二月一一日から同年四月八日まで、洞結節不全症候群のため、済生会野江病院において、入院治療を受けていたものであるが、洞結節とは上大動脈が右心房に開口するところの右肩にある細長い組織片であつて、原告はペースメーカーを装着するか否かという重傷であつたものである。したがつて、右期間においては休業損害は発生しない。

また、原告に後遺障害が残存したことは否認する。

2  本件事故前の原告の収入額

(一) 原告

原告は、本件事故前において、年間数十回にわたり、日本と大韓民国を往復し、ソウルでは衣類などを、釜山ではしその葉・青トウなどをそれぞれ仕入れ、大阪に持ち帰り販売していた。そして、原告は一回の往復で衣類であれば一ないし三千枚を日本に持ち込み、仕入値の二、三倍で売却していたものであり、少なくとも月一〇〇〇万円の売上を得ていたから、経費を控除しても月額三〇〇万円の収入があつた。

(二) 被告

原告主張の売上については、それを裏付けるべき証拠の信用性は乏しいし、それらを全て原告の営業と認めることもできない。また、仕入価格についても判然としないし、関税や航空貨物運賃も経費として控除されるべきである。いずれにしても、納税義務を尽くしていない者が、交通事故の被害者となつた際に平均賃金をはるかに上回る収入を主張することは正義に反する。

3  その他損害額

4  過失相殺

(一) 被告

本件事故は、変則三叉路交差点において、道路を横断中の原告と、直進してきた加害車とが衝突して発生したものであり、現場は横断歩道ではない。したがつて、原告にも、横断に際し、左右の安全確認を怠つた過失があり、その過失割合は二割が相当である。

(二) 原告

本件事故は、見通しの悪い現場において、夜間発生したものであるが、原告が、被告の単車に気付いて道路の左側に寄つて避けようとしたところ、前方を十分注視していなかつた被告が動転して、原告が避けようとした方向に、単車を向けてしまつたため発生したものであり、原告に過失はない。

第三争点に対する判断

一  原告の症状及び治療の経過並びに後遺障害

1  前記争いのない事実に、証拠(甲二〇、甲二一、乙七、乙一〇の一、二、乙一一の一ないし三、乙一二の一、二、乙一三の一、二、乙一四、乙一五、原告本人)を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告は、本件事故の四年前に心不全のため東大阪病院に二、三週間入院し、本件事故前においても、ときどき胸部痛を訴え、ときどき薬物を服用していた。その入院の際は、ペースメーカーを装着するかも検討されたが、その適用がないということで付けないこととなつた。

(二) 原告は、本件事故当日の昭和六二年一月九日、救急車で林病院に運ばれ、同病院で医師の診察を受けた。その際、原告は胸部痛を訴え、両膝部に挫創が認められる状態であり、また、脈拍欠損が認められた。そして、医師は、頭部、肋骨、胸部、両膝のレントゲン撮影を行なつた上、原告を、肋骨骨折(疑い)及び洞機能不全症候群により、経過観察を目的として入院させることとした。

この入院期間中、原告に対しては、肋骨骨折(疑い)に関しては、パツプ剤の貼用、投薬が行なわれた。また、洞機能不全症候群に関しては、三時間毎のEKG(心電図)モニターによる観察が行なわれ、心電図上徐脈傾向や上室性期外収縮が認められたが、上室性期外収縮により徐脈が軽快するようなふしも認められたため、無投薬のまま、経過が観察された。

そして、原告は、家族の希望により、一月一二日、済生会野江病院に転医した。

(三) 原告は、済生会野江病院における初診時において、胸部の圧痛や胸部の深呼吸時の疼痛を訴え、右膝及び右足関節部に腫脹及び変形が認められる状態であつた。そして、同病院医師はレントゲン撮影の上、原告の症状を、右第五、第六肋骨骨折、左第五肋骨骨折疑い、右足関節内踝骨折、右膝打撲と診断し、右下腿から足にかけてギプス固定し、バストバンドを施し、原告を入院させることとした。

この入院期間中、右下腿から足にかけてのギプス固定、バストバンド、湿布が行なわれた。また、洞機能不全症候群に関しては、心電図モニターによる観察が行なわれ、現在のところ無症状のようではあるが、今後のこともありペースメーカー植込の適応を検討する必要がある状態で骨折の方が落ち着いたら内科転科する必要があるものとされた。そして、原告は、二月一〇日、右足関節内踝の疼痛、圧痛軽度、右側胸部痛あり、ギプスシヤーレーでの歩行(荷重)可、一日三回以上の右足関節の自動運動開始のことという状況で、整形外科を退院し、内科に転科した。

(四) その後、原告は、七月二五日まで、済生会野江病院に通院した(なお、内科入院は、同年四月八日まで)。この通院期間中、原告は、右前胸部の圧痛、右内踝圧痛を訴えていたが、原告の訴えも次第に軽度なものになり、三月一六日には、夜間安静時には右下肢の疼痛あるが、階段昇降や外出は行ない、右側胸部についてはせきで軽度疼痛が生じる状態に、五月二六日頃には右足関節の腫脹も引いた状態になつた。この間、四月八日までの内科入院中においては、パツプ剤の投与及びレントゲン撮影のみが行なわれていたが、四月二五日からは、これに加えて内服剤の投与や軟膏の貼用が行なわれ(内服剤の最終投与は五月一一日に二週間分)、五月二〇日からは右足関節に対し簡単なリハビリが開始された。なお、内科的にはペースメーカーが必要とのことであつたが、装着されないままとなつた。

その通院回数は、二月二回、三月三回、四月五回(内科入院中一回)、五月一〇回、六月一九回、七月一一回であつた。

(五) そして、原告は、平成元年三月一六日、済生会野江病院の岩瀬医師から、〈1〉症状固定日を昭和六二年七月二五日とし、〈2〉診断名を右足関節内踝骨折、右膝打撲、右第五、第六肋骨骨折とし、〈3〉自覚症状として、昭和六二年七月二五日当時、右足関節部及び右膝部に疼痛、圧痛あり、右胸の疼痛は軽快していた。平成元年三月一六日時点で右足関節痛、歩行にての右膝部痛及び冷えた時に右前胸部(骨折のあつた部位)に疼痛を認めるとのこと、〈4〉他覚所見として、右膝関節、右足関節部の可動域は良好であつたが、右膝内側及び右足関節の内踝部に圧痛を認めた、〈5〉緩解の見通しなどとして、昭和六二年七月二五日(中止時)及び平成元年三月一六日の両日ともに同じ程度の症状があり症状は固定していると考えると記載された後遺障害診断書の作成を受けた。

なお、同医師は、昭和六二年三月一一日、大阪弁護士会の照会に対する回答書において、同年二月一〇日当時における整形外科通院治療の予定期間は、二、三か月であり、右回答時において、原告は右足関節内踝部、右膝部及び右側胸と前胸部痛を訴えており、右足関節と右膝関節の屈伸運動時痛を認めるも、後遺障害の残る可能性については未定としていた。

2  甲一九の一ないし四(原告のパスポート)によれば、原告は、本件事故後、日本を、昭和六二年五月四日から同月一〇日までの間(甲一九の二)及び同年六月二六日から同月二八日までの間(甲一九の四)離れていたことが認められる。

3  右1、2に認定の事実に基づいて、相当治療期間及び後遺障害の有無などについて検討するに、以上によれば、原告に対しては、昭和六二年二月一〇日までの入院期間中、右下腿から足にかけてのギプス固定やバストバンドが行なわれたこと、原告は、同月一一日から同年七月二五日までの通院期間中、右前胸部の圧痛、右内踝圧痛を訴えていたが、原告の訴えも次第に軽度なものになり、同年三月一六日には、夜間安静時には右下肢の疼痛あるが、階段昇降や外出は行ない、右側胸部についてはせきで軽度疼痛が生じる状態に、同年五月二六日頃には右足関節の腫脹も引いた状態になつたこと、治療としては、この通院期間中、この間、同年四月八日までの内科入院中においては、パツプ剤の投与及びレントゲン撮影のみが行なわれ、内服剤の投与や軟膏の貼用が行なわれたのは同年四月二五日からであり(なお、内服剤の最終投与は同年五月二一日に一四日分)、右足関節に対し簡単なリハビリが開始されたのは同年五月二〇日からのことであること、反面、原告は、その前の同年五月四日には日本を出国し、同年七月二五日自らの意思により済生会野江病院への通院を中止したこと、洞機能不全症候群に関しては、症状の発現はカルテ上記載されておらず、林病院入院中と同様に無症状であつたと考えられるが、ペースメーカーの適応があるとされたこと、昭和六二年二月一一日から同年四月八日までの済生会野江病院内科入院中においては、内科的には検査及び経過観察が行なわれたに過ぎないにしても、整形外科的にも、既にギプスは除去されており、その間に六回の診察、パツプ剤の投与及びレントゲン撮影による経過観察が行なわれたにとどまることが認められることになる。そして、これらの事実に照した場合、昭和六二年二月一一日から同年四月八日までの済生会野江病院内科入院期間中については、本件事故と無関係な洞機能不全症候群に対する検査及び経過観察の目的での入院を要し、そのため稼働できなかつたものとして、休業損害の対象期間から除外されるべきことになるし、原告が日本を出国した同年五月三日頃には相当程度原告の症状が改善していたものと認められるから、原告は、事故日である昭和六二年一月一二日から済生会野江病院整形外科を退院した同年二月一〇日までの三〇日間及び同病院内科退院日の翌日である同年四月九日から原告が日本を出国する日の前日である同年五月三日までの二五日間については各一〇〇パーセント、その後症状固定日である同年七月二五日までの八三日間は平均して五〇パーセント程度の就労能力の制限を受けていたものと認めるのが相当であるということになる。

また、後遺障害については、右認定のように、原告にある程度の自覚症状が残存したことは認められるものの、前記認定の治療の経過やリハビリテーシヨンの対象とされた右足関節部の可動域も良好であることなどを考えた場合、それが、自賠法施行令が予定しているような労働能力に影響をもたらすような障害であるとは認め難く、後遺障害に関する原告の主張は採用できないことになる。

二  損害について

右一で認定、説示したことを前提として、原告の損害について判断する。

1  治療費

(一) 林病院(請求額一九万七一〇〇円) 一九万七一〇〇円

当事者間に争いがない。

(二) 済生会野江病院(請求額一一三万三四六〇円) 一一三万三四六〇円

当事者間に争いがない。

2  入院雑費(請求額七万四一〇〇円) 三万九〇〇〇円

前記認定によれば、本件事故による入院期間は、昭和六二年一月一二日から同年二月一〇日までの三〇日間であるということになる。そして、原告は、この入院期間中一日一三〇〇円の割合による入院雑費を要したものと考えられるので、入院雑費の金額は三万九〇〇〇円となる。

3  休業損害(請求額一九七〇万円) 六八万〇三一〇円

甲一九の一ないし四、甲二二の一ないし三及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は、本件事故前において、年間数十回にわたり、日本と大韓民国を往復し、ソウルでは衣類などを、釜山ではしその葉・青トウなどを仕入れ、大阪に持ち帰つて販売することを業としていたもので、事故前年度におけるその往復回数は五八回に達することを認めることができる。

そして、原告は、一回の往復で衣類であれば一ないし三千枚を日本に持ち込み、仕入値の二、三倍で売却していたものであり、少なくとも月一〇〇〇万円の売上を得ていたから、経費を控除しても月額三〇〇万円の収入があつたと主張するところ、甲二の一一ないし二二、甲三の一一ないし四七、甲五の一ないし五、甲六の一ないし三、甲一六、甲一七、甲一八の一ないし一九によれば、昭和六一年八月から一二月の四か月間について、毎月平均一一〇〇万円程度の売上があつた如くである。

しかしながら、原告の取り引き品目は、ゴマ葉・青トウなどの香辛料類とセーターなどの衣類に大別されるところ、甲一八の一ないし一九(ゴマ葉・青トウなどの取り引きに関する証明書で金額は、合計月平均二〇〇万円あまり)は、取り引きの都度作成されたものではなく、本件事故後作成を受けたものであつて、その証明力については十分な吟味を必要とするところ、その取り引きに対応する仕入に関する書証類は提出されておらず、それをそのまま信用することはできない。また、衣類の取り引きに関しては、そもそもその量などからして原告一人の手によつて行なわれたものであるか疑問の余地があるところ、甲二の二一、二二、甲三の一二、三三、三四、四〇、甲一〇、甲一五の一、二、七、甲一六(五ページ)、甲一七(一ないし三ページ)に弁論の全趣旨を総合すれば、前記取引の中には原告が日本を離れていた間に行なわれたもの(昭和六一年八月一一日付け多幡商事との間の金額六七万一四〇〇円の取引・甲三の一二、一三、同年一一月一五日付け多幡商事との間の金額四〇万九〇〇〇円の取引・甲三の四一、同年一二月五日付け石井株式会社との間の金額二八〇万二一〇〇円の取引・甲一七、同月二三日付け石井株式会社との間の金額三万七五〇〇円の取引・甲一七、同月二五日付け多幡商事との間の金額五一万一〇〇〇円の返品取引・甲一六の五)や原告の帰国後相当期間が経過してからなされたもの(帰国七日目の同年一〇月三日付け多幡商事との間の金額六八万二〇〇〇円の取引・甲二の二一、二二、帰国一二・一三日目の同年一〇月二〇・二一日付け多幡商事との間の金額合計五一万五〇〇〇円の取引・甲三の三三、三四)が含まれていること、原告(英綴りは、甲一五の一及び二などにあるように「KIM KWI(KQWI) DUK」)以外の者の物である可能性がある超過手荷物切符(KIM KWI DALL・甲一〇)や納税告知書(シニイ シツニ フシ・甲一五の七)が提出されていること、前記取り引きに関し原告が受け取つたとされる手形、小切手類は原告の子供(平成三年一〇月七日当時三八歳)である文元明星こと文明星の口座から取り立てに回されていることなどが認められ、前記取引中には原告以外の者の取引が含まれている可能性が相当に存するといわざるを得ないところ、原告の子である文明星が大韓民国に仕入に行つたことがあることは同人が、証人尋問において認めているところであるし、また、その部分を明らかにするに足りる証拠は存しないから、前記証拠をもつて原告の売上額を認定することはできないことになる。更に、原告は、衣類を仕入値の二、三倍で販売していたと主張し、本人尋問における原告の供述中にはこれに沿う部分がある。しかしながら、原告がその仕入の証明として提出している甲一二の一ないし三、甲一三の一ないし四、甲一四の一ないし五によれば、昭和六一年一〇月から一二月の衣類の仕入額は、日本円四五〇〇万円(甲一二の一、二、甲一三の一、二は、「W」(大韓民国ウオン)と「¥」(日本円)とを明らかに書き分けている。)及び二億九四一五万ウオンとされているところ、これを甲二三によつて認められる外国為替レート(日本円一円に対し大韓民国ウオン五・三ないし五・六ウオン)に基づき日本円に換算すれば、五五五〇万ないし五二五二万六七八五円となるから、結局、合計一億円近く(月額三〇〇〇万円あまり)ということになるが、この金額は、原告が売上額として主張している月額一〇〇〇万円あまりをも大きく上回つており、右のような仕入が真実なされたかは疑問であるといわなければならない。したがつて、その仕事の内容などから考えて、原告において、昭和六二年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計・六五歳以上による平均年収額二五七万三二〇〇円程度の収入はあつたものと認められるにしても、原告主張のような収入があつたとは認めえないことになる。

そこで、右二五七万三二〇〇円を基礎とし、前記認定の休業期間につき、前記認定の就労能力制限の割合に基づいて原告の休業損害を算出すれば、次の計算のとおり六八万〇三一〇円となる(円未満切り捨て。以下同じ)。

(計算式)

2573200×30/365×1.00=211495・・・〈1〉

2573200×25/365×1.00=176246・・・〈2〉

2573200×83/365×0.50=292569・・・〈3〉

〈1〉+〈2〉+〈3〉=680310

4  後遺障害逸失利益(請求額三六〇万円) 〇円

原告の労働能力に影響をもたらすような障害が残存したとは認めがたいことは、前認定のとおりである。したがつて、逸失利益については、これを認めることができない。

5  慰謝料(請求額二〇〇万円) 七〇万円

以上に認定の諸般の事情を考慮すると、原告は本件事故によつて相応の肉体的精神的苦痛を受けたものと認められ、これに対する慰謝料としては七〇万円(入通院慰謝料)が相当と認められるが、後遺障害慰謝料については認めることができない。

(以上1ないし5の合計は、二七四万九八七〇円である。)

6  過失相殺

(一) 前記争いのない事実に、証拠(乙三ないし乙六、乙八)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 本件事故現場は、南北道路とそこから東に向かう道路が交差する、交通整理の行なわれていない変形三叉路交差点の北側付近である。南北道路の幅員は、本件交差点の南側で三・三メートル、北側で四・八メートル、東行道路の幅員は二・七メートルで、いずれも歩車道の区別はない。本件事故現場付近の道路はいずれもアスフアルト舗装され、平坦である。

本件事故当時の天候は晴であつた。

(2) 被告は、原動機付自転車を運転して、南北道路を南側から時速約二五キロメートルで、前照灯を下向きに点灯した状態で進行して、本件事故現場付近に至つた。他方、原告は、本件事故現場まで、南北道路の右側を北側から歩いてき、阪急曽根駅に向かうため、北側から東側に横断を開始した。そして、被告は、〈2〉地点において、左前方七・一メートルの〈ア〉を左から右に横断中の原告を認め急ブレーキをかけたが及ばず、六・五メートル進行した〈3〉において、自車前部を原告に衝突させて、原告を二・二メートル離れた〈ウ〉に転倒させ、自車は二・八メートル離れた〈4〉に転倒した。

(3) 本件事故後実施された実況見分の際、南北道路西端から二・六メートルの〈3〉付近に、長さ三・一メートルのスリツプ痕が確認された。

(二) これに対して、原告は、原告が、被告の単車に気付いて道路の左側に寄つて避けようとしたところ、前方を十分注視していなかつた被告が動転して、原告が避けようとした方向に、単車を向けてしまつたため発生したものであると主張する。しかしながら、道路の反対側に避けようとすること自体、現場の状況からして不自然であるし、原告としても、捜査段階においては、原告が、本件交差点を北から東へ渡りはじめ、中央部に来たときに、加害車が接近するのが見え、右か左かに寄らなくてはと思つたが、寄ろうと思つた瞬間、加害車にぶつかつていたことを自認しているところ(乙六)、この捜査段階の供述の方が信用できるもので、右原告の主張は採用できない。そして、右捜査段階の供述によれば、本件事故は、原告の横断途中の事故ということになる。

(三) 以上の事実によれば、被告は、本件交差点を十分な安全確認をすることなく直進通過しようとした過失があつたものであり、その落度は大きいというべきである。他方、原告としても、道路を横断するに当たり、進行してくる車両の有無を十分確認すべきであつたことになる。

そして、右の双方の過失の内容、程度、衝突場所等を考慮すると、原告と被告の過失割合は、原告一五パーセント、被告八五パーセントとするのが相当である。

そこで、前記損害額合計から一割五分(四一万二四八〇円)を減ずると、二三三万七三九〇円となり、これが被告が原告に対して賠償すべき損害額となる。

7  損益相殺 一三三万〇五六〇円

右金額については当事者間に争いがない。

(右過失相殺及び損益相殺後の残額は一〇〇万六八三〇円である。)

8  弁護士費用(請求額二〇〇万円) 一〇万円

本件訴訟の結論及び審理経過によれば、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、一〇万円と認めるのが相当である。

以上によれば、本訴請求は、一一〇万六八三〇円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年一月九日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があることになる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 松井英隆)

別紙 〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例